右翼団体「一水会」の創設メンバーのひとり、 鈴木邦男氏の本を読みました。 「愛国者は信用できるか」(講談社現代新書) 右翼なんて偏狭なナショナリズムの塊、 くらいにしか思っていなかった私ですが、 元共産党委員長の不破氏の本を読んだ時と 同様、この本の視点もとても興味深かったです。 例えば 「愛国者」と「憂国者」はどちらが国のためを 想っているだろうか、という比較があります。 「憂国者」は良き国の未来を考えるからこそ 「憂う」のですが、時にそれは現政府への批判に なります。一方「愛国者」は政府への批判を 許さない全体主義的な傾向がある、といいます。 「憂う」のはたいていが個人ですが、「愛国」は 全体を統制する方向へ暴走させ易いので、 |
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権力者にとって都合がよく、国民にとっては危険性が高い、と指摘しています。そのとおりですね。
また、こうも言います。
『国というのは、いろいろなもので成り立っている。自分の家族、学校、会社、町、市、県。そして国家になる。自分の周りのそれらを一つずつ愛していって、
その〈総体〉としての国を愛するのなら分かる。
しかし、「愛国者」を自任する人は、家族や町、県からは孤立し、嫌われ、そのくせ「俺は愛国者だ」と言っている人が多い。』
『愛国心は“愛”といいながら、他人も他国も愛さない。自己愛と自国愛しかない。自分がいかに国を愛しているかという「自己申告」と「自慢話」の競争になる。
また、他の人はいかに国を愛していないか、という批判、糾弾の道具として使われる。凶器として使われる。』
ああ、出発点がどこであれ、人の幸せを本当に願うひとのたどり着くところは、そんなに変わらないのだな、と私は思いました。 一読をおすすめします。